山田裕貴の父親の画像はある?野球選手にならなかったのはなぜ?

山田裕貴の父親山田和利の画像、野球をやめたきっかけ俳優
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山田裕貴さんは、人気ドラマや映画に出演している人気俳優です。父親は元プロ野球選手で、山田裕貴さんは幼いころから野球チームに所属し、練習に打ち込んでいましたが中学生の時に辞めてしまっています。

今日はペンディングトレインで過酷な状況の中、迫真の演技を見せ続けている山田裕貴さんの原点となる、元プロ野球選手の父親との関係やなぜ野球をやめて俳優になったのか?について深堀したいと思います。

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山田裕貴の父親は誰?

山田裕貴さんの父親は、情熱大陸にも出演された元プロ野球選手の山田和利(やまだかずとし)さんです。

名前:山田和利(やまだかずとし)

生年月日:1965年6月3日

出身地:愛知県名古屋市

出身校:愛知県の東邦高等学校

プロ入り:1983年中日ドラゴンズ4位指名

山田和利さんは1983年に中日ドラゴンズに入団し、内野の全ポジションを守れ、さらに外野も守れる万能選手でした。1996年に故障で引退した後は1997年には中日のコーチへ転任し、2021年にカープを退団するまでコーチをしていました。

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山田裕貴の父親の画像

山田裕貴の父親・山田和利さんは背が高く、かっこいいと評判です。野球選手時代の写真を見ると、山田裕貴さんに似ていることがわかります。

山田和利の若いころの画像

山田和利の現在の画像

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山田裕貴はなぜ野球をやめた?

父親からは「自分で決めたことは最後までやり続けろ」と言われていましたが、あきらめてしまったんだそうです。

プロ野球選手の息子、というプレッシャーが大きかったんだね

山田裕貴さんは、小学校3年生から中学校を卒業するまで野球チームに所属し、練習に打ち込んできました。

野球やってるうちはプロ野球選手になりたかった。

強いチームにいたんで、レギュラーになれず、補欠でベンチにいた。(父の前では泣けず)風呂で泣いていた。

『野球教えて』の一言すらも言えなかった。(父は)寡黙で厳しかった

父親と同じように、野球の名門校である東邦高等学校へ進学しましたが、野球部へは入部しませんでした。野球をやらないのに、東邦高等学校へ進学した理由についてこう語っています。

父に近づきたかったのかな。

ものすごく寂しかったんですよ、きっと。子供のころ。

(父は)シーズン始まったら3分の1以上は家にいない。負けて帰ってきたらどう話しかけていいか分からない。

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山田裕貴が俳優を目指した理由

高校3年生の時に、東邦高等学校が甲子園に出場しました。その応援に行ったときにクラブチームでチームメイトだった子が活躍する姿を見て「あ、僕は諦めたんだ」と涙が止まらなくなったそうです。

その時父親から言われた「最後までやり続けろ」の言葉が胸に刺さり、それが俳優を目指すきっかけになったそうです。

俺は(野球を)諦めた。一度死んだ。次、決めたことはやり続けよう

山田さんは、俳優なら父親から見てもらえると考えて、俳優を目指し養成所に入ったそうです。

上京当時は、家賃が比較的安い大宮に住み、都内の養成所に通っていたとのこと。毎日「討ち死にする勢い」でレッスンに挑んでいたので、周りの人との温度差があったそうです。

まとめ

今日はペンディングトレインで過酷な状況の中、迫真の演技を見せ続けている山田裕貴さんの原点となる、元プロ野球選手の父親との関係やなぜ野球をやめて俳優になったのか?について書きました。

幼いころから、父親の背中を追ってきた山田裕貴さんは、俳優になった今も父親からの教え「最後までやり続けろ」を心に、努力し続けています。

数々のヒット作品に出演し、鬼気迫る演技にはこんな秘密が隠されていたのですね。これからも山田裕貴さんの活躍に注目していきたいと思います。

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